徐統 ( じょとう )

publish: 2021-04-26, update: 2021-10-25

王朝

章節

retsuden

?-349年。後趙の右光禄大夫、司隷校尉、侍中を歴任した。人を見る目を持ち、若き頃の王猛や苻堅を見出したと逸話が残る。石虎の死後、張豺らが朝政を乱すと、乱には預かれぬとして自殺した。後に、末子である徐攀は苻堅に取り立てられ、琅邪郡太守となった。

関連

李農

?-350年。後趙の司空。石虎の死後、張豺と敵対し、張挙に助けられて石遵に従った。冉閔に同調して石遵の廃位に関わったため、内外に政敵を作った。冉閔が帝位につくと斉王に封じられたが、最後はその権勢を恐れた冉閔に誅殺された。

曹嶷

?-323年。劉柏根の反乱に従ったが、その死後は王弥の下で前趙に帰順した。王弥が石勒に殺害されると、独立を強めて青州一帯に勢力を築いた。東晋と修好したが、前趙を滅ぼした後趙の攻撃を受けると、各地で撃破されて降伏した。石虎に襄国へと送致され、石勒によって処刑された。

石琨

?-352年。汝陰王。石虎の子。石虎の死後は石遵や冉閔に従ったが、冉閔が独自に国号を改めると、冀州を拠点に襄国の石祗と呼応した。冉閔に対して一進一退したが、石祗が劉顕に殺害されると東晋へ亡命した。東晋において亡命は許されず、建康にて処刑された。
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