徐羨之
publish: 2021-08-08, update: 2021-10-25
364年-426年。字は宗文。東海郡郯県の人。徐祚之の子。東晋の太子少傅の主簿を務め、桓玄が楚を興すと劉裕の挙兵に従った。劉裕の死に際し傅亮、謝晦、檀道済と共に劉義符の補佐を遺言された。劉義符の廃位を進め劉義隆を即位させた。やがて専横が目立つようになり、劉義符殺害の罪を問われて自害した。
関連
謝恵連
397年-433年。陳郡陽夏県の人。謝方明の子。何長瑜に師事し文才で名を挙げた。男色関係があったほか、喪中に詩を贈ったとして流刑となった。才能を愛した殷景仁に弁護され彭城王・劉義康の属官となった。残した詩文は美文として評価される。
劉準
469年-479年。字は仲謀。劉宋の第8代皇帝。順帝。劉彧の第3子。兄劉昱が蕭道成に殺害されると蕭道成によって擁立された。沈攸之、袁粲は蕭道成打倒に挙兵するが、いずれも鎮圧された。蕭道成に禅譲を迫られ汝陰王に降格された。後に殺害された。在位2年。
阮佃夫
427年-477年。会稽郡諸曁県の人。元嘉年間に湘東王劉彧に仕えて劉彧に信任された。劉彧が劉子業に監禁されると、諸方と連絡を取り合って劉子業の廃位を計画、実行した。対抗する反乱には軍を率いて転戦した。劉彧の死後、劉昱の廃位を実行したが失敗し処刑された。