于謹
publish: 2021-05-17, update: 2022-02-27
493年-568年。字は思敬。小名は巨弥。河南郡洛陽県の人。于提の子。六鎮の乱では元纂、元淵の配下として軍事に預かった。爾朱天光の下で賀抜岳、宇文泰の信頼を得た。北周成立時は宇文護の政権掌握に加担した。病没。孫氏の兵書を好んだ。元天穆に王佐の材と評された。
関連
元育
?-555年。淮安王。字は僧会。北魏の高陽王・元雍の子。献文帝・拓跋弘の孫。孝武帝・元脩に従って関中に入った。西魏の使持節、大将軍、大都督を兼任した。尚書・元烈が宇文泰に殺害されると、不満を漏らす元欽を泣いて諫めたが、宇文泰による元欽廃位を止められなかった。
楊忠
507年-568年。小名は奴奴。弘農郡華陰県の人。弘農楊氏を称したが出自は武川鎮とされる。楊禎の子。隋の文帝・楊堅の父。体躯に恵まれて武芸に優れた。一時梁に抑留されたほか、独孤信とともに梁への亡命を経て西魏へ帰順した。宇文護からは遠ざけられたが官職を全うした。病没。
杜預
222年-284年。字は元凱。杜畿の孫、杜恕の子。前漢の御史大夫・杜周の末裔。蜀、呉の討伐に深く関わった。政策に無駄がなく杜武庫の異名をとった。破竹の勢いの語源を残した。春秋左氏伝を研究した学者でもある。武廟六十四将の一人。詩聖・杜甫は末裔に当たる。