宇文貴 ( うぶんき )

publish: 2022-02-15, update: 2022-02-15

王朝

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?-567年。字は永貴。昌黎郡棘城県の人。宇文莫豆干の子。夏州で育ち、学問に馴染めず軍功を志したという。夏州刺史・源子邕の下で、破六韓抜陵、葛栄らと戦った。源子邕の戦死後は爾朱栄政権で昇進し、元脩が関中に入ると従って、宇文泰からは同族として信任された。許国公まで昇った。阿史那皇后を迎えて帰還中に没した。

関連

李遠

507年-557年。字は万歳。李文保の子。李賢の弟。李穆の兄。鮮卑拓跋部を出自とするが隴西李氏を称した。爾朱天光、次いで侯莫陳崇の下で従軍し、宇文泰から厚遇されるようになった。宇文泰の側近として昇進を重ね、後嗣問題では宇文覚を支持した。宇文護の専断に反発して子の李植と共に処刑された。

宇文導

511年-554年。字は菩薩。宇文顥の子。宇文泰の甥。北鎮の乱では宇文泰とともに葛栄の軍に加わり後に賀抜岳に従った。東魏戦線では主に留守役を務めて、後備えとして前線を支えたほか、内地の反乱にも対応して、西魏体制の恒久化に貢献した。章武郡開国公まで昇り、皇族に次いで序列が高い。

宇文泰

505年-556年。字は黒獺。匈奴宇文部の人。武川鎮出身。六鎮の乱では鮮于修礼に属するが、鮮于修礼が敗北すると、爾朱栄の部将であった賀抜岳に従った。賀抜岳が高歓に殺されると実権を掌握して元脩を迎えた。周礼を基礎とする制度改革と鮮卑復古を推進し、北周の基盤を作った。病没。
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