庾信
publish: 2021-11-02, update: 2021-11-03
513年-581年。字は子山。庾肩吾の子。徐摛、徐陵親子と共に詩文に長けて、その詩は徐庾体と称された。侯景の乱が起こると江陵へ逃げるが、西魏の攻撃で江陵が陥落すると、多くの官民と共に長安へ拉致された。長安に抑留されつつも文人として活躍し、江南を哀惜する名作を残した。
関連
蕭方智
543年-558年。字は慧相。梁の第5、第7代皇帝。敬帝。蕭繹の第9子。西魏の侵攻を受けて江陵が陥落し父蕭繹が敗死すると、王僧弁、陳霸先らに擁立されて皇帝に即位した。北斉が後援した蕭淵明に帝位を譲るが、陳霸先に復位させられ、陳霸先に禅譲したのち殺害された。
蕭繹
508年-555年。字は世誠。梁の第4代皇帝。元帝。蕭衍の第7子。侯景の乱による新政権を認めず、同時期に反乱を起こした諸王の一人となった。侯景の乱を終息させ江陵にて皇帝に即位した。蜀に割拠した蕭紀を西魏に攻撃させたため蜀を失陥した。西魏の後援を受けた蕭詧に殺害された。
任昉
460年-508年。字は彦昇。楽安郡博昌県の人。任遙の子。丹陽尹の主簿となって後に蕭子良の属官に転じた。蕭鸞の不興を買って一時、不遇となるが、蕭衍が政権を握ると禅譲の詔勅などを書き上げた。文筆に優れて「任筆沈詩」と詩にすぐれた沈約と比較して評価された。交際が豊富で財産に執着しなかったという。