源賀
publish: 2021-08-07, update: 2021-10-25
407年-479年。禿髪傉檀の子。元の姓名を禿髪破羌という。西秦によって南涼が滅亡すると北涼、次いで北魏に亡命した。北涼攻略では先導を務めて功を立てた。拓跋余が宗愛に殺害されると、禁軍を率いて宮中を制圧し拓跋濬を擁立した。病没。
関連
賀抜岳
?-534年。字は阿斗泥。賀抜度抜の子。賀抜勝の弟。武川鎮の出身で、爾朱栄の下で転戦して功を立てた。爾朱天光の副将として関中に入ったが、爾朱天光が高歓に敗れたため、高歓に帰順した。元脩と高歓の対立にあって、元脩の信任を得るが、その勢威を恐れた高歓に暗殺された。
王憲
378年-466年。字は顕則。北海郡劇県の人。前秦の河東郡太守・王休の子。幼くして父を亡くし伯父の王永に従った。王永が慕容永に殺害されると民間に潜伏した。北魏の勢力が伸長すると拓跋珪に礼遇され、并州刺史、北海公まで昇った。病没。享年89歳と長命。
拓跋珪
371年-409年。北魏の初代皇帝。道武帝。拓跋什翼犍の孫、拓跋寔の子。苻堅の死後自立する。各地を転戦して華北を征服すると北魏を立てて皇帝に即位した。胡漢融合と中央集権を目指した。やがて酒に溺れ精神に異常をきたしたため次男の拓跋紹に殺害された。