臧宮
publish: 2021-08-15, update: 2021-10-25
?-58年。字は君翁。潁川郡郟県の人。県の亭長を務めたが食客を率いて下江軍に入った。劉秀に従って各地を転戦した。公孫述の討伐では岑彭が凶刃に倒れるなど苦戦を強いられたが、電撃戦をもって綿竹、涪城など州内の各地を落した。城門校尉、朗陵侯。
関連
劉協
181年-234年。献帝。後漢の第14代皇帝。劉宏の子。劉弁の異母弟。董卓に擁立されて即位したが、以降、時の権力者の正統性の道具としてのみ機能し後漢王朝は実質消失した。曹丕が魏王を襲爵すると、世論の圧力により帝位を曹丕へ禅譲した。山陽公。
甘英
生没年不詳。字は崇蘭。西域都護・班超によってローマとの国交を樹立するために大使として派遣された。条支に至って大海に阻まれ任務を断念した。大海がカスピ海、ペルシャ湾、地中海のいずれを指すかは明らかではない。ローマへ到達できなかったものの西方を伝える貴重な情報となった。
竇武
?-168年。字は游平。右扶風平陵県の人。竇奉の子。竇融の玄孫。娘の竇妙が桓帝・劉志の皇后となり外戚となった。外戚ゆえの昇進を自覚し自重に徹したため、外戚でありながら清流派の名声を得た。劉志が没すると大将軍となった。宦官排斥を目指して陳蕃と謀議するが、先手を打った曹節の派遣する張奐によって攻め滅ぼされた。