張邕 ( ちょうよう )

publish: 2021-04-26, update: 2021-10-25

王朝

章節

retsuden

?-361年。前涼の右司馬。幼い張玄靚を輔弼したが、やがて宋混が亡くなると、宋澄一族を誅殺して朝廷を壟断した。政治を乱したため、前涼の衰退を加速させた。張天錫と争い、進退に極まり自害した。一族は誅殺された。傲慢な人物と評が残る。

関連

宋混

?-361年。字は玄一。敦煌郡の人。代々、当地の豪族で、張重華の代に驃騎将軍まで昇る。忠義に厚く、人望を集めた。張祚の誅殺を掲げて張瓘が挙兵すると、呼応して挙兵し張祚を処刑した。張重華の末子・張玄靚を推戴し輔弼した。張瓘を害意を察知して決起し、張瓘を敗走させて自害に追いやった。病没。

張天錫

346年-406年。字は純嘏。前涼の第9代君主。悼公。張駿の末子。張邕が政治を壟断したおり武力をもって張邕を自殺に追い込んだ。まもなく張玄靚を殺害し位を奪った。前秦の攻撃を受けこれに降伏した。在位13年。淝水の戦いでは東晋に降伏し半生を建康で過ごした。

張重華

330年-353年。字は泰臨。前涼の第5代君主。桓公。張駿の次男。張駿の跡を継ぐ。張駿の死を好機ととらえた後趙に領土を侵されるが国威を維持し続けた。後趙が滅ぶと勃興した前秦と争った。徐々に政務を怠り佞臣を蔓延らせた。病のため死去。在位8年。
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