章昭達
publish: 2021-11-03, update: 2021-11-03
518年-571年。字は伯通。侯景の乱では建康を守るが落城と共に脱出した。陳蒨と親交を結び、王琳、周迪、陳宝応、留異らの反乱を平定して、陳初の安定に寄与した。その後も、華皎や欧陽紇の反乱を鎮めつつ、後梁や北周と戦った。病没。
関連
陳伯宗
554年-570年。字は奉業。陳の第3代皇帝。廃帝、臨海王。陳蒨の第1子。父陳蒨の死後即位した。若年での即位のため、遺言により叔父陳頊の後見を受けた。実情は陳頊の傀儡であり、陳頊によって廃位され臨海王に落された。まもなく殺害された。在位2年。
沈恪
509年-582年。字は子恭。梁末に蕭暎に仕える。侯景の乱では建康に入城して防戦するが、陥落すると脱出して陳霸先と呼応して挙兵した。陳の将軍職、刺史職を歴任して、侍中まで上った。病没。子の沈法興は隋末の群雄の一人。
江総
519年-594年。字は総持。江紑の子。西晋から続く名門貴族の出身。尚書令の重職にありながら詩文を作るのみで、狎客と批判を受けた。陳叔宝の政治的暗愚を助長し、奸臣とも評される。優れた詩文は高く評価されるが、亡国の臣という経歴を伴って軽薄だとも評価される。