趙貴 ( ちょうき )

publish: 2021-05-16, update: 2021-10-25

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?-557年。字は元貴、元宝。天水郡顕親県の人。祖父・趙仁の代に武川鎮に移った。六鎮の乱では葛栄に捕えられたが、葛栄が敗れると、爾朱栄に降って賀抜岳に従った。賀抜岳の死後は残党の収拾に務め宇文泰を迎え入れた。西魏の重鎮。行政に優れた。北周成立時に宇文護の暗殺を謀ったが露見して処刑された。

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宇文貴

?-567年。字は永貴。昌黎郡棘城県の人。宇文莫豆干の子。夏州で育ち、学問に馴染めず軍功を志したという。夏州刺史・源子邕の下で、破六韓抜陵、葛栄らと戦った。源子邕の戦死後は爾朱栄政権で昇進し、元脩が関中に入ると従って、宇文泰からは同族として信任された。許国公まで昇った。阿史那皇后を迎えて帰還中に没した。

元宝炬

507年-551年。西魏の初代皇帝。文帝。拓跋宏の孫。元愉の子。元脩が高歓の排除に失敗して宇文泰を頼るとこれに従った。元脩が宇文泰に殺害されると代わりに擁立され即位した。実質は宇文泰の傀儡であった。東魏に対して軍事的劣勢が続くが、勢力は徐々に膠着した。在位16年。

豆盧寧

500年-565年。字は永安。昌黎郡徒河県の人。豆盧萇の子。後燕の北地王・慕容精の玄孫。爾朱天光、侯莫陳悦に順に従い、侯莫陳悦が討たれると宇文泰に従った。身丈八尺、容姿に優れて騎射を得意としたという。功を挙げてなお宇文護の傀儡政権でも失脚せず、楚国公まで昇った。同州刺史として在地で病没。

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