祖逖
publish: 2021-04-25, update: 2021-10-25
266年-321年。字は士稚。祖武の子。西晋の各王の属官を歴任したため、八王の乱が進むと各王から召集されたが、いずれにも応じなかった。永嘉の乱で洛陽が陥落すると一族を挙げて徐州へ移住した。司馬睿により徐州刺史に任じられ、河南の地を後趙から奪還した。病没。
関連
司馬徳宗
382年-419年。字は徳宗。東晋の第10代皇帝。安帝。司馬曜の第1子。父司馬曜の死後即位する。重度の知的障害者であったとされる。孫恩の乱や桓玄の乱が起こり、桓玄には一時帝位を奪われるが劉裕の助力で復位した。のち劉裕に殺害された。在位22年。
沈田子
383年-418年。字は敬光。呉興郡武康県の人。沈穆夫の子。劉裕が桓玄討伐に挙兵すると従った。北伐に従軍したほか、盧循の乱にも対処して功を挙げた。長安占領時は劉義真の下で王鎮悪と共に防御に当たったが、不信を募らせて王鎮悪を殺害した。まもなく王修に殺害された。
劉毅
?ー412年。字は希楽。小字は盤龍。沛郡沛県の人。徐州で任官して桓弘の属官となった。桓玄が楚を立てると劉裕、何無忌と共に挙兵して江北を制圧した。東晋復興と続く盧循の乱で功績を残したが、自負が強く劉裕と折り合わず、劉裕から謀反の嫌疑をかけられて自害した。