高儼 ( こうげん )

publish: 2021-11-05, update: 2021-11-06

王朝

章節

seika

558年-571年。字は仁威。琅邪王。高湛の子。高緯の弟。若くして聡明、剛毅であり、顕職を兼任して強力な権限を持った。専横する和士開を弾劾し処刑せしめたが、軍を動員して高緯に従わなかったため鄴に幽閉された。属官らは捕縛、処刑され、その影響力を恐れた高緯に殺害された。

関連

陸法和

?-558年。出自は定まらない。貧道を自称して多数の弟子を取った宗教指導者。侯景が乱を為すと蕭繹に従い、任約や蕭紀を相手に戦った。蕭繹の即位と共に累進するが、指導者の立場を崩さず独自路線を採り、西魏が江陵を制圧すると北斉の高岳に降った。高官を務めつつ道士として全うした怪人物。

高恒

570年-578年。北斉の第6代皇帝。幼主。高緯の第1子。北周の攻撃により首都鄴の包囲が差し迫ると、父高緯から帝位を譲られて即位した。青州に逃亡するが捕えられた。北周により温国公に封じられるが、穆提婆が反乱の罪を問われると、連座して処刑された。

斛律羨

?-572年。字は豊楽。斛律金の子。斛律光の弟。幽州刺史として北辺を長らく治め、強大化する突厥への対処と、優れた治水により兄と共に栄転した。富貴を極めることを危ぶみ、辞職を希望したが許されなかった。斛律光が処刑されると任地にて逮捕され処刑された。
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