李蕩 ( りとう )

publish: 2021-05-07, update: 2021-10-25

王朝

章節

seika

?-303年。字は仲平。李特の子。父に従って益州に入り、李特が羅尚と対立すると共に戦った。羅尚の奇襲により李特が戦死した後も、李流の指揮下で抗戦した。羅尚の勢力を覆す善戦をしたが傷がもとで没した。学問に通じ容姿が美しかった。

関連

李期

314年-338年。字は世運。成漢の第3代皇帝。幽公。初代皇帝李雄の四男。兄の李越と共に第2代皇帝李班を殺害し即位する。奸臣を重用し悪政を敷いたため国力の衰退を招いた。成漢の重鎮李寿が奸臣の排斥を名目に軍を起こすと、廃位され邛都県公に落された。在位5年。

解思明

?-345年。出自は不明。李寿の長史に任じられた。李寿が皇帝・李期と対立すると羅恒とともに謀り、成都を占拠して李期を廃し東晋に従属することを進言した。李寿の死後、李勢の後継として皇太弟を立てることを求めたため、李勢の怒りを買って処刑された。諫臣。

李驤

?-328年。李慕の子。李輔、李特、李庠、李流の弟。一族と共に益州に入り兄弟たちと各地を転戦した。一族の多くが戦死する中、益州刺史・羅尚や荊州軍と戦った。都督中外諸軍事、大将軍、領中護軍、西夷校尉、録尚書事などの重職を歴任した。李班の立太子に反対したが叶わなかった。病没。
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