李驤 ( りじょう )

publish: 2021-05-07, update: 2021-10-25

王朝

章節

seika

?-328年。李慕の子。李輔、李特、李庠、李流の弟。一族と共に益州に入り兄弟たちと各地を転戦した。一族の多くが戦死する中、益州刺史・羅尚や荊州軍と戦った。都督中外諸軍事、大将軍、領中護軍、西夷校尉、録尚書事などの重職を歴任した。李班の立太子に反対したが叶わなかった。病没。

関連

李輔

?-303年。字は玄政。李慕の子。李特の長兄。巴氐族の出身。略陽郡臨渭県の人。斉万年の乱が起きると一族が蜀へ避難するなか実家に留まった。趙廞が乱を起こすと弟たちと合流し乱を鎮めた。李特が自立を強めて羅尚と対立すると驃騎将軍となったが、羅尚の奇襲を受けて李特と共に戦死した。

范長生

?-318年。字は元寿。涪陵郡丹興県の人。天師道の教祖。蜀の八仙の一人。李特らが益州に入って羅尚と対立したとき、青城山に拠点を構えていたため、羅尚の下で汶山郡太守に任じられた。食糧を供給して李流を支援し、李雄に従って丞相まで昇った。病没。

李特

?-303年。巴氐の出身。斉万年の乱の時、流民となり蜀に移住する。趙廞の乱ではこれに従うが、趙廞が彼の弟を殺害したために、逆に趙廞を殺し実質的な蜀の支配者となる。のち益州刺史として赴任した羅尚と対立し、改元・自立を宣言した。羅尚に対して一時は優勢を維持するも戦死した。
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