慕容策 ( ぼようさく )

publish: 2021-10-20, update: 2021-10-25

王朝

特質

端麗

章節

seika

386年-398年。濮陽王。慕容宝の子。美少年と記録が残る。父・慕容宝からは愛され、慕容会が太子から廃されると新たな太子として立てられた。段速骨、および蘭汗が反乱すると、擁立されたが、間もなく殺された。

惰弱と評されるが、享年12歳の子供への評価としては少し手厳しい。

関連

蘭汗

?-398年。慕容垂の母・蘭氏の弟、慕容盛の舅。段速骨が反乱すると呼応して龍城を陥落させた。段速骨を殺害して慕容宝を迎え入れようとしたが、弟・蘭加難が慕容宝を殺したため実現しなかった。大単于、昌黎王に即位し青龍と改元した。慕容盛を迎え入れたが慕容盛に謀られ殺害された。

慕容熙

385年-407年。字は道文。後燕の第4代皇帝。昭文帝。慕容垂の子。慕容盛の死後帝位を継ぐ。皇后の苻訓英ともに贅沢を極め国力を傾けた。苻皇后の死後は精神を病んだ。葬儀のため外出すると高雲に龍城を占拠された。逃亡したが見つかり殺害された。在位6年。

慕容会

?-397年。清河王。慕容宝の庶子。慕容垂に皇太孫とされたが、父、兄弟と折り合いが悪く慕容垂の死後、廃された。龍城に駐屯して北魏に敗れた父を救ったが、軍を取り上げられて慕容農と慕容隆に分配されたため、二人の暗殺を謀った。暴挙を知った慕容宝と交戦するも敗北し、中山へ逃亡したところを慕容詳に捕殺された。

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