慕容吐谷渾 ( ぼようとよくこん )

publish: 2021-07-29, update: 2021-10-25

王朝

章節

seika

246年-317年。鮮卑慕容部の人。慕容渉帰の子。慕容廆の兄。庶長子であったため嫡子とされず、部族を分け与えられた。嫡子の慕容廆との対立を避け西へ移住した。部族は陰山、枹罕に至り、後に子孫は西零、甘松に移って吐谷渾を国名とする独立勢力を築いた。

関連

莫護跋

生没年不詳。三国時代の鮮卑の大人。慕容部の始祖。慕容廆の曾祖父にあたる。司馬懿が遼東で自立する公孫淵を討伐したおり、協力して率義王に封じられた。以後、遼西に居住し勢力を築いた。

慕輿根

?-360年。鮮卑の人。早くから慕容皝に服属し、将軍として頭角を現した。後趙戦線で活躍し前燕の中原進出に大きく貢献して太師まで昇った。慕容儁の死後は、傲慢で詭弁を弄し反意を抱いたため、慕容恪によって誅殺された。

慕容恪

?-367年。字は元恭。慕容皝の第4子。後趙、宇文部、高句麗を相手に多くの戦線に従軍した。後趙滅亡を機に中原へ進出し版図を広げた。治政にも優れ前燕の最盛期を築いた。病没。当代随一の宰相、将軍として歴史に残る。武廟六十四将に数えられる。
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