拓跋晃
publish: 2021-08-07, update: 2021-10-25
428年-451年。拓跋燾の子。聡明であり皇太子でありながら拓跋燾の後見を受けて、実質的に北魏の政治を行った。農業振興に務めるとともに、北魏初期の漢化方針を採った。宗愛と対立して憂憤を強め、24歳で病没した。元法僧を除く後の皇帝はみな拓跋晃の血統である。
関連
拓跋珪
371年-409年。北魏の初代皇帝。道武帝。拓跋什翼犍の孫、拓跋寔の子。苻堅の死後自立する。各地を転戦して華北を征服すると北魏を立てて皇帝に即位した。胡漢融合と中央集権を目指した。やがて酒に溺れ精神に異常をきたしたため次男の拓跋紹に殺害された。
王憲
378年-466年。字は顕則。北海郡劇県の人。前秦の河東郡太守・王休の子。幼くして父を亡くし伯父の王永に従った。王永が慕容永に殺害されると民間に潜伏した。北魏の勢力が伸長すると拓跋珪に礼遇され、并州刺史、北海公まで昇った。病没。享年89歳と長命。
蕭宝寅
?-530年。字は智亮。斉の第5代皇帝・蕭鸞の子。斉の諸軍事、刺史を歴任したが、兄・蕭宝巻が蕭衍に殺害されると北魏へ亡命した。梁への南征に従軍して武功を積み、晩年は関中を鎮めた。北魏が乱れると皇帝を称して独立したが勢力を維持できず、爾朱天光に捕縛された。旧功のため助命の嘆願もあったが処刑された。