蕭正徳 ( しょうせいとく )

publish: 2021-11-02, update: 2021-11-03

王朝

章節

seika

?-549年。字は公和。臨賀王。蕭宏の第3子。蕭衍の甥にあたり一時は蕭衍の養子とされたが、後に蕭統が生まれると後継から外された。侯景と通じて建康を陥落させた。侯景に擁立されて皇帝を称するが、すぐに侯景に廃された。鄱陽王・蕭範に内通するが露見して侯景に殺害された。

関連

韋叡

442年-520年。字は懐文。韋祖帰の子。前漢の丞相・韋賢の末裔。関中の名族。東晋の劉裕が後秦を滅ぼしたとき先祖が江南へ移民した。軍事行政共に疎漏がなく、人格は謹厳で常に周囲から敬慕された。宋、斉、梁の3王朝に仕えて、侍中、車騎将軍まで昇る。病没。

蕭子顕

487年-537年。字は景陽。蕭道成の孫。豫章王・蕭嶷の子。斉の寧都県侯。斉末の混乱で危うい立場だったが、蕭衍に保護されて以後、重職を歴任した。学問を修め沈約に称えられた。一方で、傲慢との評が残り、諡には蕭衍から「驕」を贈られた。二十四史の『南斉書』の著者。

顔之推

531年-591年。字は介。顔協の子。学識と文才に長じて蕭繹に仕えた。侯景の乱とその後の混乱により、梁、西魏、北斉、北周、隋と5つの王朝を生き延びた。子孫に対する家訓として『顔氏家訓』を著した。顔真卿は来孫にあたる。
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