元法僧
publish: 2021-08-07, update: 2021-10-25
454年-536年。元鍾葵の子。拓跋珪の第3子・拓跋煕の曾孫。益州刺史に任じられるが統治は拙く、徐州刺史に転任した。元叉による粛清を恐れて、彭城にて挙兵し、皇帝を自称した。梁に救援を求め、北魏と戦いつつ梁へ亡命した。梁の武帝・蕭衍によって東魏王に封じられるが、間もなく病没した。
関連
拓跋晃
428年-451年。拓跋燾の子。聡明であり皇太子でありながら拓跋燾の後見を受けて、実質的に北魏の政治を行った。農業振興に務めるとともに、北魏初期の漢化方針を採った。宗愛と対立して憂憤を強め、24歳で病没した。元法僧を除く後の皇帝はみな拓跋晃の血統である。
元詡
510年-528年。北魏の第8代皇帝。孝明帝。元恪の第2子。父元恪の死後即位するが幼年のため、胡太后の垂簾聴政を受けた。大乗の乱、胡太后の悪政、権臣達の争いの末に六鎮の乱が起こり北魏分裂のきっかけを生んだ。胡太后を幽閉するも後に復権され毒殺された。在位13年。
拓跋珪
371年-409年。北魏の初代皇帝。道武帝。拓跋什翼犍の孫、拓跋寔の子。苻堅の死後自立する。各地を転戦して華北を征服すると北魏を立てて皇帝に即位した。胡漢融合と中央集権を目指した。やがて酒に溺れ精神に異常をきたしたため次男の拓跋紹に殺害された。