蕭子顕
publish: 2021-11-19, update: 2021-11-19
487年-537年。字は景陽。蕭道成の孫。豫章王・蕭嶷の子。斉の寧都県侯。斉末の混乱で危うい立場だったが、蕭衍に保護されて以後、重職を歴任した。学問を修め沈約に称えられた。一方で、傲慢との評が残り、諡には蕭衍から「驕」を贈られた。二十四史の『南斉書』の著者。
関連
蕭淵明
?-556年。字は靖通。梁の第6代皇帝。閔帝。蕭懿の第5子。侯景が梁に降伏した際、東魏と戦って捕虜となり長らく抑留された。東魏に代わった北斉により皇帝として梁に送り込まれた。王僧弁に支持されて即位するが、陳霸先の攻撃に王僧弁が敗死したため、廃されて間もなく病没した。
沈約
441年-513年。字は休文。沈璞の子。竟陵八友の一人。幼少期に父・沈璞を劉俊に殺害された経緯がある。宋、斉、梁の3朝に仕官した。蕭子良に招かれて文学サロンを興隆せしめた。梁の尚書令となるが、晩年は蕭衍の不興を買って、不遇の中病没した。宋書、晋書、斉紀を編纂した。
蕭繹
508年-555年。字は世誠。梁の第4代皇帝。元帝。蕭衍の第7子。侯景の乱による新政権を認めず、同時期に反乱を起こした諸王の一人となった。侯景の乱を終息させ江陵にて皇帝に即位した。蜀に割拠した蕭紀を西魏に攻撃させたため蜀を失陥した。西魏の後援を受けた蕭詧に殺害された。