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沮渠牧犍
368年-433年。北涼の第2代王。実質的な創建者。武宣王。盧水胡匈奴の出身。後涼に従うが、西秦討伐の失敗により一族が誅殺されると段業を擁立して挙兵した。後に対立した段業を討って北涼を支配した。後涼、西涼、南涼、後秦、西秦、北魏と抗争した。病没。在位32年。
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沮渠蒙遜
?-447年。北涼の第3代王。哀王。沮渠蒙遜の第3子。沮渠蒙遜が病に倒れたとき世子で弟の沮渠菩提が幼いため立太子された。北魏と婚姻外交を行ったが、拓跋燾の妹である皇后武威公主が毒殺されると北魏の侵攻を受け捕らわれた。助命されるが財産隠匿の罪で処刑された。
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段業
?-401年。北涼の初代王。文王。漢人。後涼の建康太守。沮渠蒙遜に擁立されて反乱を起こし後涼から自立した。後涼と争い河西西部を支配した。実権を握る沮渠蒙遜を除こうとするが、逆に沮渠蒙遜に討たれた。
秦漢時代
三国時代
五胡十六国時代
五胡十六国
その他
南北朝時代
南朝
北朝
隨機
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閻顕
?-125年。河南郡滎陽県の人。閻暢の子。妹を安帝・劉祜の皇后とし、鄧氏一族の没落後は、兄弟揃って重用された。劉祜の死後、劉懿を擁立し外戚としての地位を固めるかに思われたが、劉懿が僅か数百日で没したため叶わず、孫程らの政変が起きると投獄された。順帝・劉保が即位すると処刑された。
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慕容鍾
生没年不詳。 字は道明。 慕容運の孫。 慕容制の子。 始め西燕に属して慕容永に従ったが、後に妻子を捨てて後燕に離反した。 慕容徳を補佐した南燕創業の功臣で、司徒、都督中外諸軍事、録尚書事など重職を務めた。 慕容超が即位すると失脚し、慕容法、段宏らと反乱したが失敗、後秦へ亡命した。
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賀蘭祥
517年-564年。字は盛楽。代郡の人。武川鎮の出身で幼くして孤児となり、宇文氏とは常に進退を同じくした。行政にも優れて、流民や少数民族の帰化、堰や灌漑の整備に尽くしたほか、個人としては贈答を受け取らない清廉さを称賛された。宇文護政権でも活躍し、涼国公まで昇る。