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陳羣
?-237年。字は長文。豫州潁川郡許昌県の人。陳寔の孫。陳紀の子。孔融に認められて名を世間に知られた。始め劉備に仕えたのち荀彧の推挙で曹操に招聘された。曹操の魏公封爵に従って御史中丞となり、重職を歴任して司空まで昇った。人物鑑定に長けた。九品官人法を建議した。潁陰靖侯。
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陳泰
?-260年。字は玄伯。陳羣の子。母は荀彧の娘。豫州潁川郡許昌県の人。魏の侍中、光禄大夫など中央職を歴任する一方で、優れた統率力を発揮して各州諸軍事の都督として蜀呉の侵略を度々鎮めた。司馬昭の信任も厚かったが、甘露の変において司馬昭と賈充を痛烈に批判し間もなく没した。穆侯と諡された。
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王経
?-260年。字は彦緯。冀州清河郡清河県の人。農家の出身だが曹丕の代に名士として名を知られた。軍事には明るくなく姜維の北伐に大敗して陳泰から批判を受けた。魏の司隷校尉、尚書まで昇ったが、甘露の変にて曹髦に近侍し続けたため反逆罪に問われて処刑された。後に司馬炎によって名誉を回復された。
秦漢時代
三国時代
五胡十六国時代
南北朝時代
南朝
北朝
隨機
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拓跋普根
?-316年。代の第2代王。拓跋猗㐌の子。父・拓跋猗㐌の死後は中部拓跋部を継いだが、拓跋猗盧が三部を統合するようになるとこれに従った。拓跋猗盧が拓跋六脩に殺されると、拓跋六脩を殺して王位を継いだ。間もなく死去。在位は僅か一ヶ月。跡は子が継いだが名は伝わらない。
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慕容吐谷渾
246年-317年。鮮卑慕容部の人。慕容渉帰の子。慕容廆の兄。庶長子であったため嫡子とされず、部族を分け与えられた。嫡子の慕容廆との対立を避け西へ移住した。部族は陰山、枹罕に至り、後に子孫は西零、甘松に移って吐谷渾を国名とする独立勢力を築いた。
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石遵
?-349年。字は大祗。後趙の第5代皇帝。廃帝。石虎の九男。皇太子石宣が誅殺された折、石世と並んで立太子の候補にされた。石虎の訃報を聞いて挙兵し鄴に上って石世を廃した。兵権を握る冉閔を危険視し除こうとしたが、石鑑の密告を受けた冉閔により処刑された。在位183日。