高恒 ( こうこう )

publish: 2021-11-05, update: 2026-04-19

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570年-578年。北斉の第6代皇帝。幼主。高緯の第1子。北周の攻撃により首都鄴の包囲が差し迫ると、父高緯から帝位を譲られて即位した。青州に逃亡するが捕えられた。北周により温国公に封じられるが、穆提婆が反乱の罪を問われると、連座して処刑された。

関連

慕容麟

?-398年。後燕の趙王。慕容垂の庶子。参合陂の戦いでは配下の慕輿嵩が擁立騒ぎを起こすなど、敗北の一因を作った。中山にて反乱を起こすが失敗して太行山に逃れ、慕容詳の悪政を機会にして慕容詳を攻め自ら即位した。北魏に攻められると鄴の慕容徳を頼った。後に造反し慕容徳に処刑された。

鮑照

414年-466年。字は明遠。東海郡襄賁県の人。貧しい家柄に生まれ、臨川王・劉義慶に仕えたほか、臨海王・劉子頊の下で前軍参軍を努めた。劉子頊が反乱すると、混乱のなか殺害された。詩人として高名で、その作風は通俗的と批判される一方で、躍動的にして新奇的であり、後世に大きな影響を残した。

劉子鸞

456年-465年。字は孝羽。劉駿の子。始平王。襄陽王、新安王から改封された。呉郡太守、南徐州刺史、司徒、中書令などの重職を兼任した。幼少にしてこの待遇であり、常々嫉視していた兄・劉子業から賜死を受けた。死に臨んで再び皇族には生まれたくないと言葉を残した。

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