陳元康
publish: 2022-03-08, update: 2026-04-19
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507年-549年。字は長猷。広宗郡の人。陳終徳の子。北鎮の乱で陳留公・李崇に従って北伐し爵位を受けた。性は柔和で事務に優れ、慣例に長けたため高歓の重用を受けた。多くの献言を行った一方で貪欲とも評される。高澄による禅譲の密議をする最中、蘭京の襲撃に遭い高澄を庇って殺害された。
関連
姚萇
331年-394年。字は景茂。後秦の創建者。武昭帝。姚弋仲の子。姚襄の弟。羌の出身。父の代では前趙、後趙に帰属したが兄・姚襄が前秦と戦い敗死した背景を持つ。前秦に降伏した後は各地を転戦して功績を挙げた。淝水の戦い以後独立し苻堅を殺害した。病没。在位8年。
于謹
493年-568年。字は思敬。小名は巨弥。河南郡洛陽県の人。于提の子。六鎮の乱では元纂、元淵の配下として軍事に預かった。爾朱天光の下で賀抜岳、宇文泰の信頼を得た。北周成立時は宇文護の政権掌握に加担した。病没。孫氏の兵書を好んだ。元天穆に王佐の材と評された。
宇文貴
?-567年。字は永貴。昌黎郡棘城県の人。宇文莫豆干の子。夏州で育ち、学問に馴染めず軍功を志したという。夏州刺史・源子邕の下で、破六韓抜陵、葛栄らと戦った。源子邕の戦死後は爾朱栄政権で昇進し、元脩が関中に入ると従って、宇文泰からは同族として信任された。許国公まで昇った。阿史那皇后を迎えて帰還中に没した。