劉琨 ( りゅうこん )

publish: 2021-04-24, update: 2021-10-25

王朝

章節

retsuden

271年-318年。字は越石。劉蕃の子。漢の中山靖王・劉勝の末裔。司馬倫に従ったが司馬冏に許された。司馬騰が劉淵に敗れて晋陽から鄴へ移転すると、司馬越によって并州刺史に任じられ鮮卑と修好して前趙と争った。西晋滅亡後も并州を維持したが、段匹磾に殺害された。

関連

司馬熾

284年-313年。字は豊度。西晋の第3代皇帝。懐帝。司馬炎の第25子。司馬衷の死後、即位した。全国の反乱に応対するが、西晋の衰退を止めることは出来なかった。司馬越が洛陽を空にして出鎮したまま病死すると、前趙の攻撃により洛陽は陥落した。平陽に拉致されたのち処刑された。

司馬乂

277年-304年。字は士度。長沙王。司馬炎の第6子。八王の一人。兄・司馬瑋が罪に問われたとき連座したが、三王起義に加わり中央に戻った。司馬冏が悪政を行うと、司馬顒に協力して司馬冏を捕縛した。まもなく司馬顒、司馬穎と対立し戦況は優位に進んだが、降伏を望む司馬越に裏切られ殺害された。

荀藩

245年-313年。字は泰堅。後漢の司空・荀爽の玄孫。荀勗の子。司馬顒が長安に居ながら二元政治を行ったとき、洛陽にいて政治を取り仕切った。永嘉の乱では洛陽から逃亡して臨時政府を立て、司馬睿を盟主とした。司馬鄴を迎えたが、長安遷都には従わなかった。司空まで昇る。病没。
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