郗鑒
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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269年-339年。字は道徽。父の名は不明。郗慮の玄孫。司馬倫に仕えたが八王の乱で司馬倫が殺害されると処罰を免れて江南に渡った。司馬睿により兗州刺史に任じられ後趙と鎬を削る一方で、王敦・蘇峻の反乱鎮圧を経て北府軍団の母体を築いた。病没。
関連
朱祜
?-48年。字は仲先。南陽郡宛県の人。母方の実家を復陽の劉氏とし、劉秀、劉縯と親交を結んだ。劉秀配下の最古参。長安留学中は劉秀と共に薬を売って学費とした話が残る。儒学に詳しくその性格は質朴で正直だった。輝かしい武功こそ欠けるが、その人格を劉秀に愛された。建義大将軍、鬲侯。
高緯
556年-577年。字は仁綱。北斉の第5代皇帝。後主。高湛の第1子。父高湛から帝位を譲られて即位した。和士開、高阿那肱、穆提婆ら奸臣を重用したため、斛律光、高長恭などの重臣、王族たちが讒言によって粛清された。北周の攻撃を受けて逃亡するが捕われ後に殺害された。在位2年。
蕭宝巻
483年-501年。字は智蔵。蕭斉の第6代皇帝。東昏侯。蕭鸞の第2子。蕭鸞の死後皇帝に即位した。奇行が多く、補佐する重臣や諫言する高官を殺害した。反乱した蕭衍に殺害された。暴君と評価される。女性の美しい歩みを例えた金蓮歩の故事が残る。在位3年。