郗鑒 ( ちかん )

publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19

章節

標籤

269年-339年。字は道徽。父の名は不明。郗慮の玄孫。司馬倫に仕えたが八王の乱で司馬倫が殺害されると処罰を免れて江南に渡った。司馬睿により兗州刺史に任じられ後趙と鎬を削る一方で、王敦・蘇峻の反乱鎮圧を経て北府軍団の母体を築いた。病没。

関連

乞伏国仁

?-388年。字は烈祖。西秦の創建者。宣烈王。乞伏司繁の子。隴西鮮卑の出身。前秦から南単于に封じられた。淝水の戦いの前、叔父の乞伏歩頽が反乱を起こすと討伐に当たったが、淝水の戦いで前秦が大敗すると慰留されて状況を静観した。苻堅が姚萇により殺害されると独立した。

司馬紹

299年-325年。字は道畿。東晋の第2代皇帝。明帝。司馬睿の第1子。司馬睿の死去により即位する。緊張関係にあった王敦に討伐の勅命を出し、王敦の病死も重なって王敦の乱を収束させた。司馬昭による簒奪の経緯を知り皇統の存続を危ぶんだという。若くして病没。在位2年。

禿髪傉檀

365年-415年。南涼の第3代王。景王。禿髪思復鞬の子。禿髪烏孤・禿髪利鹿孤の弟。南涼の都督中外諸軍事。禿髪利鹿孤の病没により王位を継承した。乞伏熾磐が出奔したときその妻子を解放した。北涼を攻めるも攻略を果たせず西秦の攻撃に降伏した。後に毒殺された。

/opt/build/repo/content/dynasties/317_東晋/retsuden/339_郗鑒.md