高緯 ( こうい )

publish: 2021-11-05, update: 2021-11-05

王朝

章節

hongi

556年-577年。字は仁綱。北斉の第5代皇帝。後主。高湛の第1子。父高湛から帝位を譲られて即位した。和士開、高阿那肱、穆提婆ら奸臣を重用したため、斛律光、高長恭などの重臣、王族たちが讒言によって粛清された。北周の攻撃を受けて逃亡するが捕われ後に殺害された。在位2年。

関連

陳元康

507年-549年。字は長猷。広宗郡の人。陳終徳の子。北鎮の乱で陳留公・李崇に従って北伐し爵位を受けた。性は柔和で事務に優れ、慣例に長けたため高歓の重用を受けた。多くの献言を行った一方で貪欲とも評される。高澄による禅譲の密議をする最中、蘭京の襲撃に遭い高澄を庇って殺害された。

穆提婆

?-577年。漢陽郡の人。元の姓を駱という。駱超の子。父・駱超が謀反により処刑されると、母・陸令萱が後宮に入ったため、高緯に近侍した。後宮内に隠然たる実力を示し、皇后や外戚に対する皇帝の意向を左右した。北斉が滅ぶと北周に降ったが、のちに謀反を告発されて処刑された。

高演

535年-561年。字は延安。北斉の第3代皇帝。孝昭帝。高歓の第6子。高殷が即位すると、輔弼した楊愔、燕子献、宋欽道を偽勅で処刑し権力を掌握した。太皇太后婁昭君と結託して高殷を廃し自ら皇帝に即位した。落馬で重体となり死期を悟ると弟高湛に帝位を譲った。在位1年。
Page(/hongi/550_北斉/5_577_高緯.md)