穆提婆
publish: 2022-02-28, update: 2026-04-19
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?-577年。漢陽郡の人。元の姓を駱という。駱超の子。父・駱超が謀反により処刑されると、母・陸令萱が後宮に入ったため、高緯に近侍した。後宮内に隠然たる実力を示し、皇后や外戚に対する皇帝の意向を左右した。北斉が滅ぶと北周に降ったが、のちに謀反を告発されて処刑された。
関連
任光
?-29年。字は伯卿。南陽郡宛県の人。宛の吏人であり劉玄の挙兵による混乱で殺されそうになるが、劉賜に助けられ従った。信都郡太守となり、王郎が挙兵した際その使者を斬って李忠、萬脩とともに立て籠った。薊県から逃れた劉秀を迎え河北攻略の拠点となった。信都太守、阿陵侯。
蕭荘
548年-578年。梁の第8代皇帝。永嘉王。蕭繹の子蕭方等の子。人質として北斉に送られたが、前代の蕭方智が陳霸先に禅譲したとき、北斉の支援を受けて帰還、梁の再興を図る王琳により皇帝に擁立された。陳、北周と交戦するが王琳の敗死により北斉へ亡命した。北斉の滅亡後に病死。
劉志
132年-168年。桓帝。後漢の第11代皇帝。蠡吾侯・劉翼の子。梁冀に擁立され、長らく梁冀の傀儡も同然の扱いを受けた。長じて梁冀誅殺を目論み、宦官の単超の助力を得て梁冀を自殺に追い込んだ。一方、宦官への権力集中が進み党錮の禁なる官僚への弾圧が始まり、対宦官の権力闘争が激化した。