慕容永
publish: 2021-10-17, update: 2021-10-25
?-394年。西燕の第6代皇帝。慕容運の孫とされるが父は不明。前燕の滅亡時に長安へ移住し、生活は困窮した。慕容垂が挙兵すると同時期に挙兵し、慕容泓、慕容沖と合流した。慕容忠が刁雲に殺害されると西燕をまとめて慕容垂に臣従したが、すぐに独立して8年に渡って割拠した。後に慕容垂の攻撃を受けて処刑された。
関連
慕容泓
?-384年。西燕の創建者。慕容儁の子。前燕の済北王。前燕の滅亡に際して関中へ移住した。慕容垂が河北で反乱すると追って挙兵した。強永、苻叡を撃破して東進し慕容沖と合流した。慕容沖を擁立しようとする高蓋らに殺害された。兄・慕容暐を憚って皇帝に即位しなかった。
段随
?-386年。西燕の第2代王。段部の人。慕容沖が殺害された際、燕王として擁立された。即位後、昌平と改元するが、まもなく左僕射・慕容恒、尚書・慕容永に殺害された。
慕容凱
?-386年。西燕の第3代王。慕容皝の孫。慕容桓の子。慕容恒、慕容永により段随が殺害されると、燕王として擁立された。建明と改元し、諸部族を率いて長安を放棄し東進した。臨晋県に至って慕容恒の弟・慕容韜に殺害された。