慕容泓 ( ぼようこう )

publish: 2021-10-17, update: 2026-04-19

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?-384年。西燕の創建者。慕容儁の子。前燕の済北王。前燕の滅亡に際して関中へ移住した。慕容垂が河北で反乱すると追って挙兵した。強永、苻叡を撃破して東進し慕容沖と合流した。慕容沖を擁立しようとする高蓋らに殺害された。兄・慕容暐を憚って皇帝に即位しなかった。

関連

韓遂

?-215年。字は文約。元の名は韓約。辺章とともに涼州での名声が高く、土着する羌、氐の不満分子と結びついて反乱した。皇甫嵩の討伐を退けて、以後、服従と反乱を繰り返して巧みに独立を維持した。曹操の攻略に敗北し、逃走先で斬られたとも病死したともいわれる。享年70余歳。

釈道安

314年-385年。姓は衛。常山郡扶柳県の人。12歳で出家し仏図澄を師とした。仏図澄の死後は各地を流転し門徒を増やした。襄陽に移って檀渓寺に住む頃には盛況した。前秦の襄陽攻略で長安に連行され、以後苻堅をパトロンとした。仏教の研究のほか、鳩摩羅什の招聘や東晋遠征の反対などの建言を行った。

賈疋

?-312年。字は彦度。魏の太尉・賈詡の曾孫。安定郡太守となり、司馬越に与して司馬顒と争った。永嘉の乱で洛陽とともに長安が陥落すると、前趙への帰順を示したが、後に長安を包囲して劉曜を敗退させた。司馬鄴を迎えて征西大将軍まで昇るが、彭天護との戦中、山間から転落して死亡した。

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