慕容泓
publish: 2021-10-17, update: 2026-04-19
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?-384年。西燕の創建者。慕容儁の子。前燕の済北王。前燕の滅亡に際して関中へ移住した。慕容垂が河北で反乱すると追って挙兵した。強永、苻叡を撃破して東進し慕容沖と合流した。慕容沖を擁立しようとする高蓋らに殺害された。兄・慕容暐を憚って皇帝に即位しなかった。
関連
陳叔宝
553年-604年。字は元秀。陳の第5代皇帝。後主。陳頊の第1子。父陳頊の死後即位した。施文慶、沈客卿、江総ら奸臣を重用し、自らは飲酒や詩作に耽って政治を顧みなかったため、国政は乱れて国力は衰退した。隋の攻撃に降伏し、警戒されることなく余生を全うした。在位7年。
朱儁
?-195年。字は公偉。会稽郡上虞県の人。郡県の吏人を経て孝廉に挙がり、蘭陵県令、交州刺史、諫議大夫と昇進した。黄巾の乱以後は、反乱鎮圧に転戦して顕官を歴任した。董卓が長安へ遷都すると独自路線をとって陶謙、孔融らの支持を得た。董卓の死後、再度入朝して李傕らを調停したが、郭汜に囚われて間もなく病没した。
索綝
?-316年。索靖の第5子。兄の仇討で37人を殺害した。麹允と共に西晋の復興に力を尽くしたが、前趙の勢いを止めることはできなかった。長安が包囲されると、保身を計って劉曜へ偽計を用いたが、劉曜に看破された。長安陥落とともに平陽に連行されて刑死した。