班超 ( はんちょう )

publish: 2022-01-30, update: 2022-01-30

王朝

章節

retsuden

32年-102年。字は仲升。右扶風安陵県の人。班彪の子。班固の弟。班昭の兄。史家の一族に生まれたが、竇固による北伐に従軍して西域の奪還に活躍した。西域を治めることおよそ30年に渡り、西域都護として後漢の版図拡大に貢献した。晩年に本国へ帰還したが、間もなく病没した。

関連

蔡倫

50年?-121年?。字は敬仲。荊州桂陽郡耒陽県の人。明帝の治世に宦官として登用され、学問や工作を得意とし誠実な振る舞いが評価されて昇進した。製紙法を改良して、紙の実用化に大きく貢献した。安帝の祖母・宋貴人の呪詛の罪を報告したのが蔡倫であったとして賜死を受けた。

袁紹

?-202年。字は本初。汝南郡汝陽県の人。何進の属官となって以後、昇進して西園八校尉など務めた。何進の死後、宦官を排斥し、董卓と対立すると冀州を拠点に群雄として割拠した。河北四州を統べて一大勢力を築くが、官渡の戦いで曹操に敗北して以降は衰退した。勢力回復に奔走するなか病没した。

邳彤

?-30年。字は偉君。信都郡信都県の人。王莽政権では和成郡太守を務め、劉秀が平定に入るとそのまま留任した。王郎の挙兵に靡かず一貫して劉秀を支援した。劉秀が信都郡に入ったとき長安へ帰還する案が多数を占めるなか、王郎を討って河北を平定する利を説いた。太常、霊寿侯。

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