邳彤
publish: 2021-10-04, update: 2026-04-19
?-30年。字は偉君。信都郡信都県の人。王莽政権では和成郡太守を務め、劉秀が平定に入るとそのまま留任した。王郎の挙兵に靡かず一貫して劉秀を支援した。劉秀が信都郡に入ったとき長安へ帰還する案が多数を占めるなか、王郎を討って河北を平定する利を説いた。太常、霊寿侯。
和成郡は聞きなれないが、王莽が鉅鹿郡を分割して新設した郡のこと。
関連
王敦
266年-324年。字は処仲。王基の子。王導の従兄。司馬睿と共に江東に移った。行政を取り仕切った王導に対して軍権を掌握した。王氏の強権を警戒した司馬睿に忌避されたため、反乱を起こして政敵を粛清した。司馬紹から討伐の勅命が出され、再び反乱を起こしたが病没した。
王騰
?-356年。青州に割拠した段龕に仕えていたが、前燕の慕容恪の討伐を受けると降伏した。段龕を援けた東晋の徐州刺史・荀羨と戦うものの、荀羨の攻撃によって捕縛され処刑された。
慕容紹宗
501年-549年。字は紹宗。慕容遠の子。前燕の太原王・慕容恪の末裔。爾朱栄および爾朱兆に従った。爾朱兆が自害すると残党をまとめて高歓に降った。侯景が叛すると東南道行台となり、侯景と梁の軍を撃破した。西魏の潁川攻略中に自船を拿捕され自害した。