邳彤 ( ひとう )

publish: 2021-10-04, update: 2026-04-19

?-30年。字は偉君。信都郡信都県の人。王莽政権では和成郡太守を務め、劉秀が平定に入るとそのまま留任した。王郎の挙兵に靡かず一貫して劉秀を支援した。劉秀が信都郡に入ったとき長安へ帰還する案が多数を占めるなか、王郎を討って河北を平定する利を説いた。太常、霊寿侯。

和成郡は聞きなれないが、王莽が鉅鹿郡を分割して新設した郡のこと。

関連

張芝

?-192年。字は伯英。敦煌郡淵泉県の人。張奐の子。崔瑗、杜度に師事して書を学び、草書に優れて草聖のひとりに数えられる。書道の別名である「臨池」とは、書に没頭するあまり庭の池が常に真っ黒であったことに由来する。生前から評価され鍾繇とともに王羲之以前における書の大家であった。

謝晦

390年-426年。字は宣明。陳郡陽夏県の人。陳郡謝氏の出身で謝安の兄・謝拠の曾孫。東晋朝廷を掌握する劉裕に従い北伐、土断を行った。劉裕の死後、劉義符の補佐を任されたが、劉義隆擁立の政変に関わった。徐羨之らと共に政権を握り荊州刺史となるが、劉義符殺害の罪を問われ檀道済の討伐を受けた。刑死。

司馬子如

489年-553年。字は遵業。司馬興龍の子。西晋の南陽王・司馬模の末裔。若くして高歓と交友を結び、爾朱栄に属した。高歓による実権掌握後は、度々免官されるもその都度復帰して顕職を歴任した。北魏、東魏、北斉の3朝に仕えた。病没。四貴の一人。

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