岑彭
publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19
?-35年。字は君然。南陽郡棘陽県の人。王莽政権下で棘陽県令を務め、南陽太守の甄阜と共に劉玄、劉縯と戦った。降伏すると義士と評され劉縯に従った。劉縯の死後は朱鮪の属官を経て潁川太守となった。劉秀の攻略に降り朱鮪を説いた。蜀攻略では水軍を率いたが、公孫述の刺客に殺害された。征南大将軍、舞陽侯。
関連
劉協
181年-234年。献帝。後漢の第14代皇帝。劉宏の子。劉弁の異母弟。董卓に擁立されて即位したが、以降、時の権力者の正統性の道具としてのみ機能し後漢王朝は実質消失した。曹丕が魏王を襲爵すると、世論の圧力により帝位を曹丕へ禅譲した。山陽公。
苻生
335年-357年。字は長生。前秦の第2代皇帝。厲王。苻健の三男。苻健の死後、皇帝に即位した。漢中攻略を目論む姚襄を敗死させた。残虐な性格で粛清を多く行ったため人心を失った。政変を決行した苻堅に殺害された。在位3年。
到仲挙
517年-567年。字は徳言。到洽の子。陳蒨の下で昇進を重ねた。統治は公平であったが、学問に暗く必ずしも実務に長けてはいなかった。陳蒨の死後、陳伯宗が即位すると、その輔弼を任された陳頊を排除しようとして失敗し、陳頊に逮捕されたのち処刑された。