岑彭
publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19
?-35年。字は君然。南陽郡棘陽県の人。王莽政権下で棘陽県令を務め、南陽太守の甄阜と共に劉玄、劉縯と戦った。降伏すると義士と評され劉縯に従った。劉縯の死後は朱鮪の属官を経て潁川太守となった。劉秀の攻略に降り朱鮪を説いた。蜀攻略では水軍を率いたが、公孫述の刺客に殺害された。征南大将軍、舞陽侯。
関連
乞伏乾帰
?-412年。字は高祖。西秦の第2代の王。武元王。乞伏国仁の弟。始め前秦の苻登に従ったが苻登が戦死すると子の苻崇を攻撃し前秦を滅ぼした。亡命を繰り返すも自己の勢力を保持し続け後秦の衰退が顕著になると再び独立した。甥の乞伏公府に殺害される。
司馬亮
?-291年。字は子翼。汝南王。司馬懿の第3子。八王の一人。宗族の長老的存在。賈南風と結託した司馬瑋が専横を揮った楊駿を粛清すると、衛瓘と共に執政にあたったが、賈南風や司馬瑋と対立し殺害された。第2子・司馬矩の子孫は、東晋の汝南王として存続した。
慕容会
?-397年。清河王。慕容宝の庶子。慕容垂に皇太孫とされたが、父、兄弟と折り合いが悪く慕容垂の死後、廃された。龍城に駐屯して北魏に敗れた父を救ったが、軍を取り上げられて慕容農と慕容隆に分配されたため、二人の暗殺を謀った。暴挙を知った慕容宝と交戦するも敗北し、中山へ逃亡したところを慕容詳に捕殺された。