趙廞
publish: 2021-05-06, update: 2026-04-19
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?-301年。字は叔和。祖先は張魯に従ったが、張魯が曹操に降伏してから趙に移った。県令、郡太守を歴任して司馬倫からの評価を得、益州刺史、大長秋まで昇った。賈氏が誅殺されると婚姻関係にあった自らの立場を危ぶみ、李特ら流民を私兵として益州の占有を図った。配下の鎮撫に失敗し李特の攻撃を受け横死した。
関連
賈南風
257年-300年。司馬衷の皇后。賈充の3女。嫉妬深く権謀を好んだ。司馬炎からは5つの欠点を指摘されたが、賈充派の強い後押しがあって太子妃となった。楊駿の殺害後は八王の乱の中心人物となり、司馬亮、衛瓘を初めとする宗族や重臣を粛清した。皇太子・司馬遹殺害の罪で、司馬倫に処刑された。
段氏
生没年不詳。字は季妃。南燕の献武帝・慕容徳の皇后。 諱が伝わらず段季妃と通称する。 段儀の子。 姉の段元妃と共に才色を兼ね備えて志が高かった。 慕容徳が前秦から離反した時に嫁ぎ、後に后となった。 男子が無く慕容超を皇太子としたが、慕容超即位後は慕容超の廃位に加担し、皇太后を廃された。
劉炟
57年-88年。章帝。後漢の第3代皇帝。劉荘の子。儒学を好んで寛容な政治を布き経済発展に寄与したほか、外征でも積極策を前代から継承した。儒学への傾倒は経典解釈の議論へ自ら参加するほどであった。馬皇太后の死後、皇后・竇氏が側室を誣告して自死させるなど外戚の強権が目立ち始めた。