趙廞 ( ちょうきん )

publish: 2021-05-06, update: 2026-04-19

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?-301年。字は叔和。祖先は張魯に従ったが、張魯が曹操に降伏してから趙に移った。県令、郡太守を歴任して司馬倫からの評価を得、益州刺史、大長秋まで昇った。賈氏が誅殺されると婚姻関係にあった自らの立場を危ぶみ、李特ら流民を私兵として益州の占有を図った。配下の鎮撫に失敗し李特の攻撃を受け横死した。

関連

耿弇

3年-58年。字は伯昭。扶風茂陵県の人。耿況の子。更始帝・劉玄が立ち王莽が敗れると、王莽政権下で上谷太守を務めた父の命で使者として長安に上ったが、途上で劉子輿を偽称する王郎の挙兵に阻まれ劉秀に仕えた。計略に優れ、後に曹操や檀道済に引用された。建威大将軍、好畤侯。

劉喬

249年-311年。字は仲彦。南陽郡安衆県の人。劉阜の子。前漢の長沙王・劉発の末裔。王戎の属官となり呉征伐の功で滎陽県令となった。楊駿の誅殺や賈氏の排斥に協力し昇進を重ねた。豫州刺史として張昌の乱を鎮め、承制する司馬越に反発した。司馬越が実権を握ると許されたが、司馬越の死後、石勒の攻撃により捕縛、処刑された。

荀彧

163年-212年。字は文若。潁川郡潁陰県の人。若い頃に何顒から王佐の才と称えられた。董卓と袁紹の下を去り曹操に仕官した。曹操の魏公進爵に反対した。孫権征討の際に病気のために寿春に留まり憂いにより没した。漢の侍中、光録大夫、持節まで昇った。諡は敬。万歳亭侯。

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