堅鐔
publish: 2021-10-03, update: 2026-04-19
?-50年。字は子伋。潁川郡襄城県の人。劉秀が河北攻略中に推挙されて主簿となった。河北平定、洛陽攻略に功があった。萬脩とともに董訢を討伐すると鄧奉の反乱に遭い一年に渡って孤立したが、劉秀の親征まで任地を死守した。左曹、合肥侯。
関連
李班
288年-334年。成漢の第2代皇帝。哀帝。李雄の兄李蕩の子。時の皇帝李雄の甥であったが、李雄は兄李蕩こそが正当な継承者と考えていたため立太子される。李雄の死後その後を継ぐが、皇位継承に不満を持った李雄の子李越に暗殺される。在位は1年に満たない。
干宝
?-336年。字は令升。汝南郡新蔡県の人。干統の孫。干瑩の子。代々呉の官吏を務めた。王導の推薦を受けて史官となり、国史を編纂した。著作郎を経て散騎常侍まで昇る。幅広く著作を残し、『晋紀』『周易注』『春秋左氏函伝義』『周官礼注』『捜神記』がある。
賈南風
257年-300年。司馬衷の皇后。賈充の3女。嫉妬深く権謀を好んだ。司馬炎からは5つの欠点を指摘されたが、賈充派の強い後押しがあって太子妃となった。楊駿の殺害後は八王の乱の中心人物となり、司馬亮、衛瓘を初めとする宗族や重臣を粛清した。皇太子・司馬遹殺害の罪で、司馬倫に処刑された。