李忠
publish: 2021-10-04, update: 2026-04-19
?-43年。字は仲都。東萊郡黄県の人。もと高密国の郎。王莽政権では信都郡の尉、劉玄政権では信都郡の都尉を拝命した。信都郡太守の任光に従い劉秀を迎えた。龐萌、董憲の討伐に加わり、後に江南に移って広く開墾した。略奪を行わない厳正さと、激しい忠義を持った。豫章太守、中水侯。
関連
拓跋寔
?-371年。拓跋什翼犍の子。拓跋珪の父にあたる。母は慕容皝の娘で太子に立てられた。長孫斤が謀叛を起こして拓跋什翼犍に迫ると、身を挺して遮り深手を追った。長孫斤は捉えられ処刑されたが、予後が悪化し死去した。拓跋珪はその死後に生まれた。
慕容儁
319年-360年。字は宣英。前燕の第2代王。景昭帝。慕容皝の次男。父の死後王位を継ぐ。石虎の死後混乱する後趙へ出兵し幽州・冀州を制圧する。冉魏を滅ぼして河北を掌握すると皇帝に即位した。河南への進出を企図するなか病没した。在位11年。
李威
?-374年。字は伯龍。漢陽郡の人。苻雄の后・苟氏の従弟にあたり寵遇された。苻生の謀殺、苻法の賜死に関った。王猛を推挙した一人であり、苻堅には管仲を知る鮑叔牙と例えられた。太尉、侍中まで昇る。苟氏と私通した記録が残る。