慕輿根 ( ぼよこん )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

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?-360年。鮮卑の人。早くから慕容皝に服属し、将軍として頭角を現した。後趙戦線で活躍し前燕の中原進出に大きく貢献して太師まで昇った。慕容儁の死後は、傲慢で詭弁を弄し反意を抱いたため、慕容恪によって誅殺された。

関連

宇文泰

505年-556年。字は黒獺。匈奴宇文部の人。武川鎮出身。六鎮の乱では鮮于修礼に属するが、鮮于修礼が敗北すると、爾朱栄の部将であった賀抜岳に従った。賀抜岳が高歓に殺されると実権を掌握して元脩を迎えた。周礼を基礎とする制度改革と鮮卑復古を推進し、北周の基盤を作った。病没。

崔季舒

?-573年。字は叔正。博陵郡安平県の人。崔瑜之の子。若くして父を失うも学問に頭角を現し、高琛の属官を経て高歓に重用された。元善見の側近となり「我が乳母」と評されるほど信任される一方で、高澄からも厚く信任され大きな発言力を持った。権力闘争著しい朝廷にあって韓鳳の讒言により殺害された。

范長生

?-318年。字は元寿。涪陵郡丹興県の人。天師道の教祖。蜀の八仙の一人。李特らが益州に入って羅尚と対立したとき、青城山に拠点を構えていたため、羅尚の下で汶山郡太守に任じられた。食糧を供給して李流を支援し、李雄に従って丞相まで昇った。病没。

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