任光 ( じんこう )

publish: 2021-10-04, update: 2026-04-19

?-29年。字は伯卿。南陽郡宛県の人。宛の吏人であり劉玄の挙兵による混乱で殺されそうになるが、劉賜に助けられ従った。信都郡太守となり、王郎が挙兵した際その使者を斬って李忠、萬脩とともに立て籠った。薊県から逃れた劉秀を迎え河北攻略の拠点となった。信都太守、阿陵侯。

関連

孔融

153年-208年。字は文挙。魯国曲阜県の人。孔宙の子。孔子20世の孫。幼くして李膺に評価された。後漢末期に北海国の相を務めたが、袁紹の伸長に伴い中央へ逃れた。直言を好み、過度な批評は純粋、秋霜と評価される一方で、曹操からは嫌悪され、曹操に対する誹謗中傷の罪で処刑された。

蓋延

?-39年。字は巨卿。漁陽郡要陽県の人。身長八尺、三百斤の強弓を引いた肉体の持ち主。漁陽太守・彭寵の下で営尉、護軍都尉を兼任した。彭寵とともに劉秀に従い偏将軍、列侯となった。将軍職の上位にあり多くの遠征を指揮した一方で、血気盛んで非法が多かった。虎牙大将軍、安平侯。

韓遂

?-215年。字は文約。元の名は韓約。辺章とともに涼州での名声が高く、土着する羌、氐の不満分子と結びついて反乱した。皇甫嵩の討伐を退けて、以後、服従と反乱を繰り返して巧みに独立を維持した。曹操の攻略に敗北し、逃走先で斬られたとも病死したともいわれる。享年70余歳。

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