王恭
publish: 2022-02-03, update: 2026-04-19
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?-398年。字は孝伯。太原郡晋陽県の人。王蘊の子。司馬曜の皇后・王法慧の兄。外戚。謝玄亡き後の北府軍を継承した。王国宝によって軍権を解任されると殷仲堪と挙兵して、司馬道子に王国宝を処刑させた。司馬道子討伐のために再度挙兵したが、調略された劉牢之に敗北し処刑された。
関連
韋寛
509年-580年。字は孝寛。諱は叔裕とも。京兆郡杜陵県の人。韋旭の子。始め蕭宝寅に属したが、蕭宝寅が反乱すると離反して長孫稚、楊侃、源子恭らの属官を務めた。独孤信と並んで連璧と称された。間諜の扱いに長けて戦わずして斛律光の失脚を決定づけるなど、人間の機微に聡かった。
耿純
?-37年。字は伯山。鉅鹿郡宋子県の人。耿艾の子。真定王劉楊の外戚、甥にあたる。更始政権ではその出自を買われ鉅鹿へ赴任したが、王郎の挙兵で河北が乱れると劉秀に恭順した。一族の屋敷を焼いて忠誠を示し、後に反乱を企てた劉楊を謀殺した。劉秀の皇帝即位を強く薦めた。東郡太守、東光侯。
釈道安
314年-385年。姓は衛。常山郡扶柳県の人。12歳で出家し仏図澄を師とした。仏図澄の死後は各地を流転し門徒を増やした。襄陽に移って檀渓寺に住む頃には盛況した。前秦の襄陽攻略で長安に連行され、以後苻堅をパトロンとした。仏教の研究のほか、鳩摩羅什の招聘や東晋遠征の反対などの建言を行った。