王浚 ( おうしゅん )

publish: 2021-04-24, update: 2026-04-19

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252年-314年。字は彭祖。王沈の子。都督幽州諸軍事として幽州の軍事を総括した。辺境の地の利を活かして三王起義ではどちらにも与せず、司馬顒、司馬穎と敵対した。鮮卑と修好する一方で、劉琨と内訌した。西晋が著しく弱体化すると帝位を狙ったが石勒に滅ぼされた。

関連

謝霊運

385年-433年。字は宣明。陳郡陽夏県の人。謝瑍の子。謝玄の孫。東晋の康楽公を継いだが、宋では侯に降格された。永嘉郡太守、秘書監、侍中を務めながらも度々辞職し詩作に没頭した。隠遁しつつも生活は豪勢で、騒乱の罪を得て広州に流刑された。道中、脱走の容疑で処刑された。

孫程

?-132年。字は稚卿。涿郡北新城県の人。安帝の治世に宦官として中黄門となった。劉祜、劉懿が相次いで没すると、廃太子されていた劉保の復権に動き、閻顕が諸王子を召喚したのを機に、王康らと共に江京、劉安、陳達を斬って政変を成した。浮陽侯となり養子への相続が認められた。病没。

張豺

?-349年。西晋末期、中原が乱れると割拠して王浚の傘下に入った。王浚の死後は石勒に帰順し、将軍職に任じられた。石虎の後継に石世を推し、石勒の死後、石世を即位せしめた。劉皇太后と共に政治を牛耳るが、石遵が挙兵すると孤立した。石遵に高位を与えて出迎えたが、捕らえられ処刑された。

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