王浚 ( おうしゅん )

publish: 2021-04-24, update: 2026-04-19

章節

標籤

252年-314年。字は彭祖。王沈の子。都督幽州諸軍事として幽州の軍事を総括した。辺境の地の利を活かして三王起義ではどちらにも与せず、司馬顒、司馬穎と敵対した。鮮卑と修好する一方で、劉琨と内訌した。西晋が著しく弱体化すると帝位を狙ったが石勒に滅ぼされた。

関連

劉貴

?-539年。秀容郡陽曲県の人。劉乾の子。爾朱栄の属官を務めると厚く信任され、将軍職、刺史職を歴任し、爵位は公まで昇った。爾朱氏の内紛で高歓が挙兵するとこれに従った。主に対西魏戦線に立ち西魏の独孤信らと戦った。

何氏

?-189年。霊思何皇后。南陽郡宛県の人。何真の女子。何進、何苗の妹。屠殺業の家に生まれたが、賄賂によって後宮に入り、劉宏の寵愛を受けて劉弁を産んだ。同じく劉協を産んだ王氏を嫉視して毒殺し、劉協を養育する姑・董氏と後継を争った。董卓が劉弁を廃位すると李儒によって毒殺された。

劉衛辰

?-392年。匈奴鉄弗部の大人。劉務桓の子。赫連勃勃の父。鉄弗部を率いて代と前秦の間で離合集散を繰り返した。前秦の攻撃で代が滅亡すると、代の東西分割に伴って西単于に封爵された。前秦が崩壊すると西燕、後秦、後燕と外交して北魏と争ったが、北魏に本拠・代来城を攻略され殺害された。

/opt/build/repo/content/dynasties/265_西晋/retsuden/314_王浚.md