王鎮悪 ( おうちんあく )

publish: 2021-07-09, update: 2026-04-19

373年-418年。北海郡劇県の人。王猛の孫。王休の子。前秦が崩壊して関中が混乱すると、叔父の王曜に従って東晋へ亡命した。武芸は不得意だったが学問には優れ、推薦を受けて劉裕に仕えた。劉裕の北伐に大きく貢献した。沈田子の救援に譴責をもって応えたため、沈田子の不信を買って殺害された。

関連

賈疋

?-312年。字は彦度。魏の太尉・賈詡の曾孫。安定郡太守となり、司馬越に与して司馬顒と争った。永嘉の乱で洛陽とともに長安が陥落すると、前趙への帰順を示したが、後に長安を包囲して劉曜を敗退させた。司馬鄴を迎えて征西大将軍まで昇るが、彭天護との戦中、山間から転落して死亡した。

王叡

?-189年。字は通耀。琅邪郡臨沂県の人。琅邪王氏。後漢末期に荊州刺史を務めた。孫堅と共に荊州南部の反乱を鎮圧した。反董卓の動きが起こると不仲だった武陵太守・曹寅の殺害を図ったが、察知した曹寅に罪を偽造され檄文に応じた孫堅に攻められた。自害。

後任の荊州刺史には、董卓の命を受けた劉表が赴任した。

李雄

274年-334年。巴氐の出身。成漢の創設者。武帝。益州刺史羅尚を撤退させ成都を完全に制圧すると、成都王を称して成漢を成立させた。断続的に東晋と係争し漢中・巴東・寧州を攻略する一方で、前涼の張駿が東晋への臣従を勧めたときには一定の理解を示した。在位は30年に及ぶ。

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