源賀
publish: 2021-08-07, update: 2026-04-19
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407年-479年。禿髪傉檀の子。元の姓名を禿髪破羌という。西秦によって南涼が滅亡すると北涼、次いで北魏に亡命した。北涼攻略では先導を務めて功を立てた。拓跋余が宗愛に殺害されると、禁軍を率いて宮中を制圧し拓跋濬を擁立した。病没。
関連
趙廞
?-301年。字は叔和。祖先は張魯に従ったが、張魯が曹操に降伏してから趙に移った。県令、郡太守を歴任して司馬倫からの評価を得、益州刺史、大長秋まで昇った。賈氏が誅殺されると婚姻関係にあった自らの立場を危ぶみ、李特ら流民を私兵として益州の占有を図った。配下の鎮撫に失敗し李特の攻撃を受け横死した。
張玄靚
350年-363年。字は元安。前涼の第8代君主。沖公。張重華の末子。張祚が殺害されると宋混らに擁立される。幼年で跡を継いだため張瓘、宋混、張邕、張天錫と摂政を巡って権臣たちの勢力争いが続いた。最後は張天錫によって殺害された。在位9年。
沈田子
383年-418年。字は敬光。呉興郡武康県の人。沈穆夫の子。劉裕が桓玄討伐に挙兵すると従った。北伐に従軍したほか、盧循の乱にも対処して功を挙げた。長安占領時は劉義真の下で王鎮悪と共に防御に当たったが、不信を募らせて王鎮悪を殺害した。まもなく王修に殺害された。