蕭琛 ( しょうちん )

publish: 2021-11-01, update: 2026-08-22

480年-531年。字は彦瑜。南蘭陵郡蘭陵県の人。蕭恵訓の子。若くして才能を発露させ一族の蕭恵開は我が一族を興すだろうと評した。太学博士から昇進を重ねて度重なる政変でも官職を維持し、蕭衍からは宗老と敬慕された。侍中・特進・金紫光禄大夫まで昇る。

関連

宇文泰

505年-556年。字は黒獺。匈奴宇文部の人。武川鎮出身。六鎮の乱では鮮于修礼に属するが、鮮于修礼が敗北すると、爾朱栄の部将であった賀抜岳に従った。賀抜岳が高歓に殺されると実権を掌握して元脩を迎えた。周礼を基礎とする制度改革と鮮卑復古を推進し、北周の基盤を作った。病没。

司馬冏

?-302年。字は景治。斉王。司馬昭の孫。司馬攸の子。八王の一人。司馬倫に協力して賈氏一族を滅ぼすが、後に司馬倫から軽んじられた。司馬倫が暴政を行うと、司馬穎、司馬顒らと決起して司馬倫を退位させ、司馬衷を復位させた。司馬顒が挙兵すると洛陽で呼応した司馬乂によって捕縛され、処刑された。

蕭巋

542年-585年。字は仁遠。後梁の第2代皇帝。明帝。蕭詧の第3子。宗主国が西魏、北周、隋と変遷する中で一貫して友好な外交を維持した。北周が北斉を滅ぼした際は自ら長安へ行き祝賀した。安定した治政により熟成した南朝文化が後世に継承された。在位23年。

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