蕭琛
publish: 2021-11-01, update: 2026-08-22
480年-531年。字は彦瑜。南蘭陵郡蘭陵県の人。蕭恵訓の子。若くして才能を発露させ一族の蕭恵開は我が一族を興すだろうと評した。太学博士から昇進を重ねて度重なる政変でも官職を維持し、蕭衍からは宗老と敬慕された。侍中・特進・金紫光禄大夫まで昇る。
関連
傅俊
? - 31年。字は子衛。潁川郡襄城県の人。王莽政権で襄城の亭長を務め、劉秀を迎えて校尉となった。このとき母と弟を失い昆陽の戦い以後、服喪のため帰郷した。河北攻略中に邯鄲で合流した。劉秀の皇帝即位時には陰麗華を迎える使者となった。積弩将軍、昆陽侯。
李威
?-374年。字は伯龍。漢陽郡の人。苻雄の后・苟氏の従弟にあたり寵遇された。苻生の謀殺、苻法の賜死に関った。王猛を推挙した一人であり、苻堅には管仲を知る鮑叔牙と例えられた。太尉、侍中まで昇る。苟氏と私通した記録が残る。
冉閔
?-352年。字は永曾。冉魏の君主。武悼天王。冉瞻の子。石虎の養子。漢人。後趙の将軍として功績を立てる。石虎の死後混乱した後継問題に介入し、石遵、石鑑を廃して皇帝に即位した。後趙残党の石祗を滅亡させるも、前燕の南下を引き起こし慕容恪に捕らえられ処刑された。