宇文泰
publish: 2021-05-17, update: 2026-04-19
505年-556年。字は黒獺。匈奴宇文部の人。武川鎮出身。六鎮の乱では鮮于修礼に属するが、鮮于修礼が敗北すると、爾朱栄の部将であった賀抜岳に従った。賀抜岳が高歓に殺されると実権を掌握して元脩を迎えた。周礼を基礎とする制度改革と鮮卑復古を推進し、北周の基盤を作った。病没。
関連
王猛
325年-375年。字は景略。北海郡劇県の人。漢人。貧しい幼少を経て鄴へ遊学した。徐統に取り立てられたが応じず華山へ隠遁した。呂婆楼に推挙されて苻堅に仕え、その様は劉備と諸葛亮に例えられる。内治から前燕攻略まで枢機に携わり丞相まで昇った。病没。武廟六十四将。
葛栄
?-528年。懐朔鎮の鎮将。六鎮の乱に際して定州を拠点に反乱した鮮于修礼に従い、鮮于修礼の死後はその反乱軍を掌握した。柔玄鎮の杜洛周らを併呑して強勢を誇ったが、高歓らの離脱と重なって爾朱栄に敗北し、捕らわれて処刑された。六鎮の乱における組織立った最後の指導者。
蘭欽
生没年不詳。字は休明。蘭子雲の子。蘭京の父。北魏戦線や内地の異民族統治で累進し、諸軍事、刺史を歴任した。後に漢中平定の功を成して、曲江県公まで昇った。広州刺史となるが、刺史を代行していた蕭恬に毒殺された。頌徳碑が立てられるほどの善政でも知られる。