宇文泰
publish: 2021-05-17, update: 2026-04-19
505年-556年。字は黒獺。匈奴宇文部の人。武川鎮出身。六鎮の乱では鮮于修礼に属するが、鮮于修礼が敗北すると、爾朱栄の部将であった賀抜岳に従った。賀抜岳が高歓に殺されると実権を掌握して元脩を迎えた。周礼を基礎とする制度改革と鮮卑復古を推進し、北周の基盤を作った。病没。
関連
慕容評
生没年不詳。慕容廆の子。軍を率いては功を重ね、慕容恪とともに朝政を管掌した。しかし統治には暗く、慕容垂を政敵として離反させ、慕容恪の死後は政治が腐敗した。前秦の攻撃を受けて高句麗へ亡命したが捕縛、送還された。苻堅によって范陽郡太守に任じられ、任地にて没した。
司馬瑋
271年-291年。字は彦度。楚王。司馬炎の第5子。八王の一人。賈南風による楊駿排斥に協力した。その後、補政の任に当たった司馬亮や衛瓘と対立し、賈南風に唆されて司馬亮、衛瓘を粛清した。賈南風によって司馬亮、衛瓘殺害の罪を押し付けられ処刑された。横暴の評価が残る。
慕容暐
350年-384年。字は景茂。前燕の第3代君主。幽帝。慕容儁の三男。河南へ進出し東晋領の洛陽を得るも慕容恪の死後は国威が低下する。洛陽の領有問題を起点に前秦と敵対し大敗のすえ鄴は陥落、降伏した。在位11年。淝水の戦い以後没落する苻堅の暗殺を試みるが失敗し殺害された。