張芝 ( ちょうし )

publish: 2021-12-20, update: 2021-12-20

王朝

特質

書家

章節

retsuden

?-192年。字は伯英。敦煌郡淵泉県の人。張奐の子。崔瑗、杜度に師事して書を学び、草書に優れて草聖のひとりに数えられる。書道の別名である「臨池」とは、書に没頭するあまり庭の池が常に真っ黒であったことに由来する。生前から評価され鍾繇とともに王羲之以前における書の大家であった。

関連

劉宏

156年-189年。霊帝。後漢の第12代皇帝。解瀆亭侯・劉萇の子。河間王・劉開の曾孫。劉志に男子が無く、同じ河間王の筋から皇太后・竇妙、竇武、陳蕃らに擁立された。熹平石経を作成するなど学問を奨励する一方で、売官売爵といった短絡的な財政を行い、宦官の専横も止まらなかった。

甘英

生没年不詳。字は崇蘭。西域都護・班超によってローマとの国交を樹立するために大使として派遣された。条支に至って大海に阻まれ任務を断念した。大海がカスピ海、ペルシャ湾、地中海のいずれを指すかは明らかではない。ローマへ到達できなかったものの西方を伝える貴重な情報となった。

蔡倫

50年?-121年?。字は敬仲。荊州桂陽郡耒陽県の人。明帝の治世に宦官として登用され、学問や工作を得意とし誠実な振る舞いが評価されて昇進した。製紙法を改良して、紙の実用化に大きく貢献した。安帝の祖母・宋貴人の呪詛の罪を報告したのが蔡倫であったとして賜死を受けた。
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