劉宏 ( りゅうこう )

publish: 2021-12-04, update: 2026-04-19

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156年-189年。霊帝。後漢の第12代皇帝。解瀆亭侯・劉萇の子。河間王・劉開の曾孫。劉志に男子が無く、同じ河間王の筋から皇太后・竇妙、竇武、陳蕃らに擁立された。熹平石経を作成するなど学問を奨励する一方で、売官売爵といった短絡的な財政を行い、宦官の専横も止まらなかった。

関連

慕容盛

373年-401年。字は道運。後燕の第3代皇帝。昭武帝。慕容宝の第1子。幼年時代を長安で過ごしたが西燕が安定しなかったため後燕に亡命した。蘭汗が慕容宝を殺害すると一時は蘭汗に従うがまもなく殺害して皇帝に即位した。治政は厳格に過ぎ相次ぐ反乱の中で横死した。在位3年。

王浚

252年-314年。字は彭祖。王沈の子。都督幽州諸軍事として幽州の軍事を総括した。辺境の地の利を活かして三王起義ではどちらにも与せず、司馬顒、司馬穎と敵対した。鮮卑と修好する一方で、劉琨と内訌した。西晋が著しく弱体化すると帝位を狙ったが石勒に滅ぼされた。

魚豢

生没年不詳。雍州京兆郡の人。魏の郎中となるが、そのほかの事跡は不明。私撰である『魏略』、および『典略』を著した。著書のほとんどは唐代後期に散逸し、現存ずるものはごく一部であるが、正史『三国志』を始め、他の史書の引用、転載として継承されたと考えられる。倭国に関する最古の記述と目される。

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