高延宗
publish: 2021-11-05, update: 2026-04-19
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544年-577年。安徳王。高澄の第5子。高粛の弟。陳、北周の侵略が始まると、及び腰の宗族の中で善戦した。高緯が逃走すると、周囲から皇帝として擁立され晋陽を守備した。北周の侵攻になすすべなく捕縛され、北斉滅亡後は賓客として遇されたが、穆提婆の反乱未遂がおこると自害した。
関連
李邽
生没年不詳。遼西郡の人。もともと冉魏の趙郡太守を務めたが、前燕の南進が至ると降伏した。慕容恪に取り立てられ、後に豫州刺史を拝受した。前燕の斜陽が深まるなか東晋の桓温の糧道を断った。前燕滅亡後は前秦の尚書となるが、以後の事跡は定かではない。
司馬攸
246年-283年。字は大猷。斉王。司馬昭の第3子。子がいない司馬師の猶子となった。聡明でありながら人徳を有し、宗族の中で一際輿望を集めた。後継問題を背景に、司馬炎から疎まれて、封地への帰国を命じられた。まもなく病没。司馬攸帰藩事件として、八王の乱の初端と解される。
元悦
494年-532年。汝南文宣王。第6代皇帝・拓跋宏の子。兄・元懌が元叉に殺害されると、元叉に阿って高位に上った。爾朱栄によって河陰の変が起こると、難を逃れて梁へ亡命した。梁の後援を得て皇帝に即位し洛陽に入った。爾朱氏が滅びると、洛陽を押さえた高歓によって殺害された。