劉衛辰
publish: 2022-03-27, update: 2022-03-27
?-392年。匈奴鉄弗部の大人。劉務桓の子。赫連勃勃の父。鉄弗部を率いて代と前秦の間で離合集散を繰り返した。前秦の攻撃で代が滅亡すると、代の東西分割に伴って西単于に封爵された。前秦が崩壊すると西燕、後秦、後燕と外交して北魏と争ったが、北魏に本拠・代来城を攻略され殺害された。
関連
赫連定
?-432年。夏の第3代皇帝。赫連勃勃の第5子。兄赫連昌が北魏に捕らえられると即位した。残党を糾合して一時は関中やオルドス地方を奪還するが北魏の逆襲を受けて失地回復は成らなかった。北魏に圧されて西秦を滅ぼすが吐谷渾の攻撃により捕縛され北魏に送られて処刑された。
赫連昌
?-434年。字は還国。夏の第2代皇帝。赫連勃勃の第3子。廃太子された赫連璝が立太子された赫連倫を攻撃し敗死させると、赫連璝を討って太子となった。西方では優位を維持したが、北魏に対しては各地で敗北を重ね安定で北魏に捕らえられた。助命されるが後に殺された。
赫連勃勃
381年-425年。字は敖雲。夏の創建者。武烈帝。劉衛辰の第3子。匈奴鉄弗部の出身で去卑の後裔。父劉衛辰が北魏に敗れると後秦に従った。北魏に対して敗北を重ねる後秦を見限りオルドス地方で独立した。周辺国を圧迫し続けたが、後年は後継問題を引き起こした。病没。