赫連勃勃
publish: 2021-11-06, update: 2026-04-19
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381年-425年。字は敖雲。夏の創建者。武烈帝。劉衛辰の第3子。匈奴鉄弗部の出身で去卑の後裔。父劉衛辰が北魏に敗れると後秦に従った。北魏に対して敗北を重ねる後秦を見限りオルドス地方で独立した。周辺国を圧迫し続けたが、後年は後継問題を引き起こした。病没。
関連
袁安
?-92年。字は召公。汝南郡汝陽県の人。袁良の孫。県の吏人を務め、孝廉に挙げられた。県令から太守へと着実に昇進し、優れた行政を評価されて太僕へ栄転、以後、司空、司徒を歴任した。外戚の竇氏を弾劾し、清流派の立場を確立してなお失脚せずに現職であり続けた。
皇甫嵩
?-195年。字は義真。安定郡朝那県の人。孝廉、秀才に挙げられたがいずれも辞退した。霊帝から招聘を受けると出仕し、北地太守を務めた。党錮の禁を解除させたほか、黄巾の乱をはじめ後漢末の反乱収拾に各地を転戦した。董卓とは軋轢が多く、一時は投獄されたが、董卓の死後は車騎将軍、太尉を歴任した。病没。
徐邈
172年-249年。字は景山。燕国薊県の人。曹操の河北平定時に仕官した。県令、太守、刺史を歴任するたび道徳的で民に寄り添う行政手腕が評価された。蓄財しないために曹叡からは生活費を特別に支給された。司空を辞退し相応しい人物がいなければ空位とすべしとした。諡は穆。都亭侯。