赫連昌 ( かくれんしょう )

publish: 2021-11-06, update: 2026-04-19

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?-434年。字は還国。夏の第2代皇帝。赫連勃勃の第3子。廃太子された赫連璝が立太子された赫連倫を攻撃し敗死させると、赫連璝を討って太子となった。西方では優位を維持したが、北魏に対しては各地で敗北を重ね安定で北魏に捕らえられた。助命されるが後に殺された。

関連

陳伯宗

554年-570年。字は奉業。陳の第3代皇帝。廃帝、臨海王。陳蒨の第1子。父陳蒨の死後即位した。若年での即位のため、遺言により叔父陳頊の後見を受けた。実情は陳頊の傀儡であり、陳頊によって廃位され臨海王に落された。まもなく殺害された。在位2年。

応瑒

?-217年。字は徳璉。汝南郡南頓県の人。応珣の子。曹操の辟召に応じて丞相掾属、後に五官中郎将文学となった。弟の応璩と共に文名が高く、曹丕や曹植から高く評価された。華北で大流行した疫病のため没し、著作は伝わらない。

祖珽

生没年不詳。字は孝徴。范陽郡遒県の人。祖瑩の子。范陽祖氏の出身で、勲貴や恩倖と権力を争った典型的な漢人系名族。和士開と争って入獄し、失明してなお権力への情熱を失わなかった。勲貴の斛律光を失脚させたほか、過度な権力闘争により北斉を衰退させた。北徐州刺史に左遷され任地にて没した。

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