赫連昌
publish: 2021-11-06, update: 2026-04-19
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?-434年。字は還国。夏の第2代皇帝。赫連勃勃の第3子。廃太子された赫連璝が立太子された赫連倫を攻撃し敗死させると、赫連璝を討って太子となった。西方では優位を維持したが、北魏に対しては各地で敗北を重ね安定で北魏に捕らえられた。助命されるが後に殺された。
関連
賀蘭祥
517年-564年。字は盛楽。代郡の人。武川鎮の出身で幼くして孤児となり、宇文氏とは常に進退を同じくした。行政にも優れて、流民や少数民族の帰化、堰や灌漑の整備に尽くしたほか、個人としては贈答を受け取らない清廉さを称賛された。宇文護政権でも活躍し、涼国公まで昇る。
王雄
507年-564年。字は胡布頭。太原郡の人。王崙の子。太原王氏を称するがその字から自称と考えられる。賀抜岳に従って関中に入り、梁領である漢中方面を攻略した。宇文護の下で北斉を攻めたとき、斛律光の矢が当たったとされ、陣没した。庸国公。
閻式
?-309年。天水郡の人。閻彧とも。李特たちが難民を連れて益州へ移るとこれに従った。益州刺史として羅尚が着任すると李特の使者として度々往来し、難民側の主張を羅尚に伝える一方で、羅尚から李特への懐柔の窓口となった。李雄の代に尚書令まで昇るが、配下の訇琦、張金苟に殺害された。