司馬道子 ( しばどうし )

publish: 2021-08-06, update: 2026-04-19

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364年-403年。字は道子。第8代皇帝・司馬昱の子。琅邪王、次いで会稽王。司馬曜からの信任が厚く、謝安を左遷させると中央の要職を掌握した。やがて酒におぼれて無頓着となり、王国宝と共に朝廷を恣縦した。王恭、桓玄らが反乱すると子に実権を委ねて事態を収拾させた。司馬元顕が失脚すると捕縛、毒殺された。

関連

閻式

?-309年。天水郡の人。閻彧とも。李特たちが難民を連れて益州へ移るとこれに従った。益州刺史として羅尚が着任すると李特の使者として度々往来し、難民側の主張を羅尚に伝える一方で、羅尚から李特への懐柔の窓口となった。李雄の代に尚書令まで昇るが、配下の訇琦、張金苟に殺害された。

王雄

507年-564年。字は胡布頭。太原郡の人。王崙の子。太原王氏を称するがその字から自称と考えられる。賀抜岳に従って関中に入り、梁領である漢中方面を攻略した。宇文護の下で北斉を攻めたとき、斛律光の矢が当たったとされ、陣没した。庸国公。

畢義雲

生没年不詳。代々刺史職を務め、施しをもって困窮者を救ったが、元来の性は豪縦であり、羊烈や宋遊道から誹られた。倫理に欠如しており、乱れた性生活、散財、過度な懲罰は朝野の知るところとなり、あるとき突然、怪死した。蘭子暢の捜査によれば犯人はその遺留物から庶子の畢善昭とされる。

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