司馬道子 ( しばどうし )

publish: 2021-08-06, update: 2026-04-19

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364年-403年。字は道子。第8代皇帝・司馬昱の子。琅邪王、次いで会稽王。司馬曜からの信任が厚く、謝安を左遷させると中央の要職を掌握した。やがて酒におぼれて無頓着となり、王国宝と共に朝廷を恣縦した。王恭、桓玄らが反乱すると子に実権を委ねて事態を収拾させた。司馬元顕が失脚すると捕縛、毒殺された。

関連

朱儁

?-195年。字は公偉。会稽郡上虞県の人。郡県の吏人を経て孝廉に挙がり、蘭陵県令、交州刺史、諫議大夫と昇進した。黄巾の乱以後は、反乱鎮圧に転戦して顕官を歴任した。董卓が長安へ遷都すると独自路線をとって陶謙、孔融らの支持を得た。董卓の死後、再度入朝して李傕らを調停したが、郭汜に囚われて間もなく病没した。

司馬徳文

386年-421年。字は徳文。東晋の第11代皇帝。恭帝。司馬曜の第2子。兄司馬徳宗に対する劉裕の害意を察知したが防げなかった。司馬徳宗の死後劉裕に擁立されて即位するが、劉裕による禅譲の布石であり禅譲の余儀は無かった。宋によって零陵王に封じられたが翌年殺害された。

慕容超

385年-410年。字は祖明。南燕の第2代皇帝。末主。慕容徳の兄慕容納の子。慕容垂が独立したとき長安に在留した父慕容納は処刑され母段氏は後秦、後涼へ逃亡した。後に慕容徳に迎えられた。慕容徳の死後即位するも失政が続いた。東晋の劉裕に攻撃され捕虜となったのち処刑された。

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